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瞑想は危険か?゠危険ではない。
昨今、瞑想は危険だとやたらと煽り立てる文章がネット上で拡散されていますが、結論を先に申し上げますと、瞑想は危険ではありません。一切、危険ではないと断定してもいいです。なぜ瞑想は危険だという論説がネット上で乱立し始めたのでしょうか?
今回はこのことをテーマにして、書いていこうと思います。
瞑想は危険だと主張する人たちの論拠
瞑想は危険だという人は、瞑想をしていると魔境に落ちる可能性があるからだといいます。このことを禅の世界では、野狐禅、禅天魔に落ちるなどと揶揄します。瞑想をすることで増長慢になり、他人を見下す冷血な人間になるということはまずありません。
何故かというと、瞑想をすると自我が拡大するため、逆に他人に寛容になり、他者への慈悲心、思いやりが深くなるからです。自我が縮小すると、他人への配慮を欠いた極めてエゴイズムの強い人間になります。しかし、瞑想には真逆の効果があります。
たとえば、LSDを使用して、戦争推進派だった人が、世界平和を唱えるようになったりしている事例があちらこちらで聞かされますが、これはLSDを用いた瞑想によって、自我が拡大したために起きた現象だと説明可能です。
瞑想を経験すると自我が拡大する
本当の意味の瞑想を経験すると自我は拡大します。つまり、自我がない状態になります。このような状態の人は、自他の区別がなくなりますので、自分と同等かそれ以上に他者へやさしくできるようになるのです。
上で述べたLSD瞑想をしたような人も同じ論理です。瞑想が危険だといわれるようになったのは、主に、一時期、瞑想を第一義に標榜して世間を賑わせたあるカルト宗教の影響が強いかと思います。それ以前までは、瞑想が危険だという話は一切存在しませんでした。
瞑想は危険ではないことの論拠
そもそも瞑想は米国の刑務所でも、プログラムとして組まれるくらいです。もともと反社会性の強かった凶暴な囚人になぜ瞑想プログラムが施されるのでしょうか?それは上で述べた通り、瞑想の自我拡大効果により、矮小であった囚人の自我が拡大し、彼ら自身に思いやりの感情が自然と沸き上がったことに依存する話です。米国は科学性を重視する国です。
きちんとした治験も積まずに、科学的根拠も論拠も存在しないプログラムを無責任に実践させるということはまずありえません。瞑想の自我拡大効果は国際論文によって、研究者たちによって既に数々の再現性を見出されています。
瞑想が良くない人の例
精神的に落ち込んだり、錯乱している人、いわゆる心の病気にかかっている人に限った話では、瞑想は危険だとは言えます。
昨今、うつ病にマインドフルネス瞑想が良いなどという話をよく耳にしますが、心の病気の人は雑念や思考にとらわれているため、瞑想をしても瞑想が瞑想にならずに、瞑想が迷走になってしまい、余計、心の煩悶、悩みを拡大させてしまうデメリットがあります。ですので、そういう人は、瞑想あるいは座禅のような方便は用いない方が良いです。
瞑想をしたいのであれば、先にうつ病や心の病気を治すことが先決です。
まとめ
瞑想は危険ではありません。むしろ精神を安定させ、リラックスさせる安楽の法門です。
瞑想は危険だとやたら煽る人には注意した方がいい。そういう人は何か皆さんを扇動したい「狙い」「意図」のようなものを持っている場合がほとんどです。そういう人はむしろ怪しい。
瞑想は極めて安全なものであるので今からすぐぜひ実践されてください。
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